不動産営業の最終局面であるクロージングは、押し切る技術ではなく「相手が自分で決められる環境を整える技術」です。
私は新人時代、強く押しては嫌がられ、弱く出ては流されるという失敗を繰り返しました。やがて、商談冒頭からの設計、質問の順序、要約のタイミング、比較案の出し方、沈黙や頷きの非言語までを組み直したことで、成約率が安定的に上がりました。
本稿では、現場でそのまま使える会話設計とスクリプトを体系化し、実体験を交えて具体的に示します。
- クロージングの本質:押さずに「決めやすさ」を設計する
- 全体設計:7つの合意でゴールまでの道筋をつくる
- 質問設計:事実→課題→影響→理想→条件の順
- 30秒要約:認識を合わせるミニ・クロージング
- 比較提案:単品提示より“2〜3案の比較”
- 不安の正体:7分類で先回り
- 実体験:失敗からの学び
- 非言語の整え方:声・間・姿勢
- 反論処理フレーム:LAERとFeel-Felt-Found
- 異議別スクリプト:価格・金利
- 異議別スクリプト:家族の反対
- 異議別スクリプト:タイミング
- 比較案の出し方:3案法の具体
- 価格提示の順序:アンカリングと透明性
- クロージング直前チェックリスト(その場で確認)
- ショートスクリプト集:場面別
- 断り文句辞典と返し方(倫理優先)
- 心理テクニック:正しく使う3原則
- 家族同席の設計:反対は“情報不足”のサイン
- キャンセル抑止:契約後48時間の“安心設計”
- 数値で管理:KPIと振り返り
- 練習法:台本→キーワード→即興の三段階
- ケーススタディ:価格交渉を怖がる顧客
- ケーススタディ:決められない顧客
- 具体スクリプト:終盤の一言集
- クロージング当日の流れ(テンプレ)
- オンライン時代の小ワザ
- 担当者信頼の作り方:透明性と一貫性
- よくあるNGと言い換え辞典
- 新人育成メニュー(自分育成にも有効)
- 私の失敗と転機:強引さを捨てた日
- ケース:投資系・実需系での差分対応
- よくある質問(顧客想定Q&A)
- チェックリスト:この記事の要点を現場に落とす
- まとめ:クロージングは信頼を形にするプロセス
クロージングの本質:押さずに「決めやすさ」を設計する
クロージングを難しくするのは、相手の意思決定を営業側が奪ってしまうことです。人は自分で選んだと感じたときに納得度が最大化します。だからこそ、営業がやるべきことは「選びやすさ」を設計すること。選択肢の比較軸を言語化し、不安を先回りして可視化し、段取りの合意を積み上げれば、最後は自然に「では、これでお願いします」に至ります。
全体設計:7つの合意でゴールまでの道筋をつくる
- 時間の合意:「本日は30分、10分区切りで進めます」
- 目的の合意:「相場の現実と条件整理の確認が目的です」
- 判断材料の合意:「収支・立地・将来の出口の3点で比べます」
- 比較軸の合意:「利回り優先/立地優先/バランス型の3案を比較します」
- 不安の合意:「気になる点は都度止めてください。メモして解消します」
- 次アクションの合意:「決めるのは今日でなく、次回◯日までに三択で」
- 同席者の合意:「ご家族・税理士の同席が必要なら次回設定します」
この7つが冒頭で共有できれば、終盤での「圧」を一切使わずに合意形成が進みます。
質問設計:事実→課題→影響→理想→条件の順
提案の前に、相手の物語をつくります。おすすめはSPIN型を不動産用に調整した以下の順序です。
- 事実:現在の住まい・保有資産・家族構成・勤務先・予算感
- 課題:将来不安、現住の不便、資産ポートフォリオの偏り
- 影響:放置した場合の生活・教育・老後への影響
- 理想:5〜10年後の生活像、キャッシュフローの姿
- 条件:立地・広さ・築年・返済比率・自己資金
この順で聞けると、後半の要約と比較提案が刺さります。
30秒要約:認識を合わせるミニ・クロージング
ヒアリング後は30秒で要約します。
「〈現状〉◯◯、〈課題〉◯◯、〈理想〉◯◯。今日は〈利回り/立地/出口〉を比較し、〈◯日〉までに三択で方針仮決め。これでよろしいですか?」。相手の「はい」が取れた時点で、実質的な合意形成が始まっています。
比較提案:単品提示より“2〜3案の比較”
人は比較がないと不安が残ります。私は必ずA:利回り優先、B:立地優先、C:バランス型の3案を用意し、メリット・注意点・出口の見立てを正直に並べます。ポイントは「Aを売りたい」とは言わず、「理想に一番近いのはどれかを一緒に選ぶ」姿勢を貫くことです。
不安の正体:7分類で先回り
- 価格・金利:支払いへの不安、将来の上昇リスク
- リスク:空室・修繕・天災・相場下落
- 家族:配偶者・親の反対、説明の困難
- 手間:管理・手続きの煩雑さ
- タイミング:今決めてよいのかの疑義
- 比較不足:他案を見ていない・情報過多
- 担当不信:営業への違和感・会社の不明瞭さ
私は各不安に対し、先に「言語化→データ→代替案」をセットで用意します。ここまで整うと、終盤のクロージングは驚くほど静かに決まります。
実体験:失敗からの学び
入社3ヶ月、30代会社員の投資提案で私は「今日決めましょう」と畳みかけ、失注しました。以後は「今日は決めません」を宣言し、判断材料と段取り合意に徹したところ、再訪で相手から「進めましょう」が出るようになりました。以降の勝ち筋は一貫しています。
非言語の整え方:声・間・姿勢
- 声:数字は低め・ゆっくり、語尾を上げない
- 間:重要な提案の直後に2秒沈黙
- 姿勢:上体前傾、手のひらは開く、指差しを避ける
提案が同じでも、非言語が整うだけで「信頼」の受け取り方が変わります。
反論処理フレーム:LAERとFeel-Felt-Found
LAER:Listen(聴く)→Acknowledge(理解を示す)→Explore(深掘り)→Respond(回答)。
Feel-Felt-Found:「お気持ち分かります(Feel)。同じように感じた方もいました(Felt)。ただ◯◯を確認して(Found)」という骨子。事実と思いやりの両輪で不安を溶かします。
異議別スクリプト:価格・金利
相手:「金利が上がったら怖い」
私:「ごもっともです。金利が0.5%動いた時の月々差額は◯円です。3パターンの返済計画を並べ、安心できるラインを先に決めましょう」
異議別スクリプト:家族の反対
相手:「配偶者が慎重で…」
私:「ご家族の安心が第一です。次回はご一緒に“判断材料だけ”を短時間で整えませんか。賛否を急がず、条件だけすり合わせましょう」
異議別スクリプト:タイミング
相手:「今はタイミングじゃない」
私:「拙速は避けたいですね。では“進める/保留/比較追加”の三択で、◯日までに仮決めする段取りにしませんか」
比較案の出し方:3案法の具体
A:利回り優先(郊外・築古・高利回り)、B:立地優先(都心・築浅・低利回り)、C:バランス型(準都心・中利回り)。各案に対し、購入理由・数字・出口の仮説・注意点を同じフォーマットで提示します。体裁が揃えば、比較が思考の助けになります。
提示フォーマット(例)
- 購入理由:◯◯という理想に最短
- 数字:表面◯%/実質◯%、年間CF◯円、自己資金◯円
- 出口仮説:◯年後の売却レンジ、賃料下落◯%想定
- 注意点:空室期間の揺れ幅、修繕イベント
価格提示の順序:アンカリングと透明性
価格交渉は、最初の基準(アンカー)が肝心です。私は「相場の幅→個別の位置→交渉余地→意思決定の条件」の順に並べます。額面で押し引きするのではなく、根拠の透明性で納得を作ります。
クロージング直前チェックリスト(その場で確認)
- 今日の目的と進捗の再確認(何が分かり、何が残ったか)
- 不安の言語化(未解消の懸念は何か)
- 比較の納得(選ばない案の理由も確認)
- 段取りの合意(誰が、いつ、何をするか)
ショートスクリプト集:場面別
電話アポの終盤
「今日は決めません。判断材料だけ整え、次回◯日に三択で方向性の仮決めを。10分だけお時間ください」
対面の要約
「要約します。〈現状〉◯、〈課題〉◯、〈理想〉◯。比較ではBが理想に最も近い。残る不安は金利と家族の同意。次回は同席で短時間の材料整理を」
オンライン商談
「本日の段取りをチャットに貼ります。画面共有は3つだけ。最後に決定事項を共有メモで確認し、そのリンクをお渡しします」
断り文句辞典と返し方(倫理優先)
- 「他社も見たい」:「比較大賛成です。他社で見るべき2点だけ先に共有します。戻られたら同じフォーマットで並べましょう」
- 「急かされるのは嫌」:「今日は決めません。段取りを小さく区切るだけにします」
- 「難しい用語が多い」:「私の説明が悪かったです。日常語に直して3行で言い切ります」
心理テクニック:正しく使う3原則
- 社会的証明:似た立場の事例を事実ベースで短く紹介
- 希少性:在庫・期日の事実のみ。誇張しない
- 一貫性:冒頭の目的合意と矛盾しない提示
心理は「急がせるため」ではなく、迷いを減らすために使います。
家族同席の設計:反対は“情報不足”のサイン
家族の反対は、たいてい情報と時間の不足です。私は同席時に「相場の現実」「数字の上下」「最悪シナリオ」を先に示し、判断材料のみ提供します。賛否は持ち帰りでOKと伝えると、驚くほど空気が和らぎます。
家族同席スクリプト
「本日は判断材料だけ整えます。賛否の議論は持ち帰りで。最悪シナリオも含め、良い面・気をつける面を同じ比重でご説明します」
キャンセル抑止:契約後48時間の“安心設計”
- 翌日の礼状と要点まとめ(双方の宿題を1枚に)
- 家族向け1分要約(読むだけで説明できる文面)
- 問い合わせ窓口の明示(連絡手段・対応時間)
「購入後も私が伴走します」の一言が、もっとも強い抑止力になります。
数値で管理:KPIと振り返り
- 会話比率:営業:顧客=4:6を目標
- 要約回数:商談ごとに3回(中間・提案前・終了前)
- 次回化率:初回→再アポの取得率
- 不安の回収:未解消の懸念数をゼロに
録音→自己レビュー→同僚レビュー→改善のサイクルで、クロージングは安定します。
練習法:台本→キーワード→即興の三段階
- 台本読み:感情を入れず滑らかに読む
- キーワード化:「名乗り/時間/目的/比較/質問」の5語だけカード化
- 即興:カードだけ見て表情・間・頷きを意識して話す
私は2週間の反復で、アポ率が12%→21%、再アポ化が45%→63%に改善しました(社内トラッキング)。
ケーススタディ:価格交渉を怖がる顧客
顧客が価格交渉を嫌うのは「嫌な人と思われたくない」心理です。私は事前に「交渉は礼節の範囲で、事実ベースでやります」と宣言し、相場と売主事情の事実を先に列挙。結果として感情抜きの交渉に移れました。
ケーススタディ:決められない顧客
決断回避には、選択肢過多・責任恐怖・情報の非対称が絡みます。私は「選ばない案の理由」を言語化してもらい、「選ぶ根拠」を強化。最終的に「これで行きましょう」を引き出せました。
具体スクリプト:終盤の一言集
- 段取り合意型:「今日は決めません。◯日までに『進める/見送る/比較追加』の三択で仮決めにしませんか」
- 要約確認型:「ここまでの要点は3つです。間違いないかだけ確かめさせてください」
- 安心付与型:「わからないまま進めることはしません。不安が1つでも残るなら今日は終わりにします」
- 家族配慮型:「ご家族向け1分要約を私が書面化します。説明のご負担を減らします」
クロージング当日の流れ(テンプレ)
- 冒頭30秒で段取り共有(目的・時間・ゴール)
- ヒアリングの再要約(前回の認識合わせ)
- 比較表の提示(同フォーマットで3案)
- 不安の回収(LAERで1つずつ)
- 段取り合意(次回の同席者・期日・宿題)
- 終了前の要点再確認(双方一言ずつ)
この流れに沿うだけで、押し問答のない静かなクロージングが実現します。
オンライン時代の小ワザ
- カメラは目線より少し上、正面からの光源で表情を明るく
- スライドは「1画面1メッセージ」、数字は太字、色は2色まで
- 決定事項は共有ドキュメントにリアルタイムで記録し、URLを即送付
担当者信頼の作り方:透明性と一貫性
「知らないことは調べて返す」「不利な情報も先に出す」「言い切らない」が三原則です。短期的に損でも、長期の信頼で必ず回収できます。
よくあるNGと言い換え辞典
- 「絶対お得です」→「条件が合う方には有利に働きます」
- 「今しかない」→「この水準が続く保証はありません」
- 「簡単に通ります」→「◯の条件が揃えば可能性は高まります」
- 「とりあえず契約を」→「進める場合の段取りだけ仮置きしましょう」
新人育成メニュー(自分育成にも有効)
- 毎日10分の読み合わせ(録音して滑舌と間を確認)
- 週1回の同席レビュー(先輩から1つだけ改善指摘)
- 月次でKPI共有(会話比率・要約回数・次回化率)
私の失敗と転機:強引さを捨てた日
かつて私は「今日決めさせる」ことに執着し、3件連続のドタキャンを招きました。以後は「今日は決めません」を宣言し、判断材料の整備と段取りの合意に徹しました。押さないと決めたその日から、キャンセルは激減し、紹介が増えました。クロージングは、相手の自由を守ると決めた営業からうまくいき始めます。
ケース:投資系・実需系での差分対応
投資系(数値×出口)
CFの谷の浅さ、空室時の耐性、出口のレンジを先に提示。数字に裏付けられた比較が効果的です。
実需系(暮らし×納得)
学区・通勤・生活導線など“日常の幸福度”の言語化が鍵。感情の納得を侮らないこと。
よくある質問(顧客想定Q&A)
Q:「もっと良い物件が出るのでは?」
A:「可能性はあります。だからこそ“比較基準”を先に固定しましょう。基準があれば入替は容易です」
Q:「値引きできませんか?」
A:「敬意を持って交渉します。ただし将来の出口に不利なら無理に下げません。数字全体で得にする道を一緒に探します」
チェックリスト:この記事の要点を現場に落とす
- 冒頭7つの合意を毎回読み上げる
- 30秒要約を3回(中間・提案前・終了前)
- 3案比較は同フォーマットで
- 未回収の不安をゼロにして終える
- 「今日は決めません」を恐れない
まとめ:クロージングは信頼を形にするプロセス
クロージングは押し切る瞬間ではなく、冒頭から積み上げた合意と透明性を「形」にする最終工程です。選びやすさの設計、比較の可視化、不安の言語化、段取りの合意。この4点が揃えば、決断は自然に生まれます。今日から台本を整え、数字ではなく“決めやすさ”を磨いてください。静かなクロージングが、最も強いクロージングです。
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